鍼灸重宝記:

四知の論

神聖工巧、望聞問切、これを四知といいます。また、四象とも、旨綮とも言います。

難経には、問いてこれを知る、これを工という、

脈を切してこれを知る、これを巧という、

望んでこれを知る、これを神という、

聞いてこれを知る、これを聖という、とあります。

五臓が内に病んでいるときは、五色が外にあらわれます。

面が青いものは腹中の痛みです。

赤いものは腹中に熱があります。

黄色いものは脾胃の弱いものです。

白いものは腹中の寒です。

黒いものは腎の傷れです。

酒を飲んでいないのに、酔ったようなものは神気の不足です。

手足の指がのび、節がすいているものは病を得てから遅く治ります。

このように、外より望み見て腹中の病を知ることを望といい、神といいます。

五臓内にあって五声を出だすのは歌哭呼笑呻がこれです。

五音は唇舌牙歯喉に出て、宮商角徴羽です。

ですから、病人の声を聞くだけで、腹中のどこに病があるかということを知ること ができます。

たとえば哭は肺の病です。

清洟がたれ鼻が流れるものは、肺に風寒があると知ることができます。

歌をうたって涎が多いものは脾の病と知ることができます。

怒りさけんで泪が多いものは肝の病です。

唾がおおくて呻【原注:うなる】ものは腎虚です。

喜んで笑いたわごとを言うものは心の病です。

声の軽いものは気の弱いものです。

声の重く濁るのは風の痛み。

声の出ないものは肺の病です。

声が急なものは神の衰えです。

声がふさがるものは痰のしわざです。

声がふるえるのは冷えです。

声がむせぶものは気の不順です。

あえぐのは気がいそがしいものです。

あくびが多いのは気がつかえたものです。

このように病人の声を聞いて病を知り理解することを聞といい聖といいます。

五味は口に入り胃に納まるといいますが、これをとろかしこなして脾に渡せば、こ れを五臓六腑に散ずるものとなります。

口が酸いものは肝に熱があります。

口が苦いものは心熱です。

口が甘いものは脾の熱です。

口の辛いものは肺に熱があります。

鹹いものは腎の熱です。 口が淡いものは胃熱と知ることができます。

このように病人が嫌ったり好んだりする味覚を聞くことにより理解し、五臓の病のおこるところを知り、また病者が常に何を食し、いつから病み始め、どのようにし て病を受けたのか、などと委しく病因を問いて病の源を知ることを問といい、工といいます。

右望聞問の三つをつくし、そののち脈を候い、病の虚実をわきまえ、陰陽寒熱をつ まびらかにし、生死吉凶を定めることを診候の術といいます。

脈を候うことは、神気をしずめ、呼吸を定めて診るべきです。

脈を切【原注:たしか】にして臓腑の病をわきまえ、生死を知ることを切【原注: せつ】といい巧といいます。

だいたい鍼灸医の道を勤める人は、大酒と色慾とをたしなんだり、貪り嫉みにくむ 心を生じてはいけません。

慈仁の心をもって利欲を忘れ博く施して衆人を救いなさい。