待つ時間を過ごすために
赤ちゃんが欲しいと願う日々は、『待つ』ことがとても大切になります。
でも、いろいろな努力をして、高額な治療を受けたりしていると、結果に対する期待も大きくなりますよね。
そしてそれだけ結果に対する不安も大きくなります。
ゆったりとした気持ちで待つ、ストレスがいけないんだから考え込まずに待つなどと思っても、却って『考えないようにするにはどうしたらいいのか考える』という禅の問答のようになってしまいます。
私の師である伴 尚志先生が、『待つ時間を過ごすために』というファイルを作って くださいました。貴方が出来ることはもうすべてやったのだと思います。
あとは『待つ』ですね。ご参考まで。
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『2004年1月29日(ビッグママ米山からのメール)
私のお師匠様の作った、気持ちを楽にするための思考法のファイルだよん。具体的には、体外受精で授精卵を戻したあとの方が、結果を待つまでの時間を穏やかに過ごせるようにと願ってつくったものです。お試しあれ(^^)
『考えるということはとても精力を使うことです。根気が必要なんですね。この精力とか根気というのはどこから来ているのかというと、腎に貯められている根本的な力から来ているわけです。
腎気がしっかりしていると、しなやかで正確な思考ができますけれども、腎気が弱ってくると、根が腐った樹のように不安定なひねくれた考え方になったり、そのような根をがっちり固めようとするために頑固になったりします。
このような時は、考えるということを休むという方法を取り、腎気を休めることが建設的です。けれども、人間の不思議と申しましょうか、このような時は、ま るでチベットの山奥で強い寒風に吹かれてからからと激しく回る風車のように、根のない思考が頭の中をめぐってしまいます。考えないようにしようと考える と、どうすれば考えないことができるのだろうと考え、考えを止めるにはどうするかなどと、禅の本を読み始め考え込んでしまうわけですね。
まさに思考というのは、人間の特徴であり、その人生の健全なあり方に対して、両刃の剣となるものです。
そこで、考えを止める方法の一つを提案しておきます。
それは暝想をするということです。暝想というと何かおどろおどろしいものですが、ここでお薦めするのはとても単純なことです。それは、「身体の声を聴く」ということです。自分自身の身体と対話してみるわけです。
まず、その声を聴きたい部位を選びます。痒いところ痛いところなどは、すでに身体がその声を発しているわけですから、そこにある思いに耳を傾けていきます。思い当たらなければ、身体の中心である臍下の奥の丹田(女性であれば子宮)を選ぶとよいでしょう。
その身体を得、その身体を使った時のことなど、ゆっくりと思い起こして、小さな声も聞き逃さないように、深く深く心を澄まし、ゆったりと耳を澄ましていきます。そこにある、悲しみや、喜び。重さや、広がり。を感じ取ります。
人は、一つの、宇宙です。その、宇宙の、中の、宇宙の、一部の、一点の、声を、聴いていきます。
全身の力みを抜いて、その部位に耳を傾けます。横になってもかまいません。ゆったりと、ゆっくりと、こころをほぐしながら、よりよく聴けるよう、耳を澄まし続けます。
その、小さな、声を聴き逃さないよう。心を込めて、さまざまな角度から、その声に耳を傾け、聴き続けます。
怒りがあれば、悲しみが裏に必ずあります。その悲しみは何なのでしょう。理解されなかった悲しみ。乱暴に扱われた悲しみ。喜びの表現を無理に押しとどめられた悲しみ。
この怒りが、堅い塊となって、人の筋肉によろいのように巣食い、自分自身のやわらかな心をまもろうとしています。けれどもそれが、実は、心を閉ざす基になったり、人とのさらなるいさかいの原因になったりします。
そこにあなたの愛を注いでみましょう。あなたの小さなものをいつくしむ心を、自分自身の悲しみに注ぎ込みます。感情があふれてきたら、それを押し止めずただ流します。ゆったりと大いなる宇宙にまかせきって、すべての思いを流していきます。
ありがとうございました。』
おわりに
たくさんの、赤ちゃんが欲しいという方々との旅をともにして、不妊治療というのは、努力したからといって必ず報われるとはかぎらないし、何が悪いのかという原因を追及しても仕方がないことが多く、悩み、迷うことも多いかと思います。
そんなかで、このやり方が一番結果に近いと思ったのは、やれること、出来ることを精一杯したら、あとはジタバタしないというスタンスの方々です。気楽になさっているようにみえながら、やったらよいこと、出来ることは、息切れせずに淡々と挑戦。
そしてなさったことに対して過度な期待は抱かず、あとはお任せなんですという態度。書いてみるとそんなの無理って思われるかもしれません。でも、さらっとしていらっしゃるのですよ。つまり、『これをやる』と決めたら、そのこと自体にいちいち考え込まないんです。考えることは疲れますからね。
そういった無駄なことに精力を注がないってことです。
悟りとか、精神修行なんて言葉が浮かびましたが、さらっさらっと目の前にあらわれる、このタイプの方々に接して、こういった方々が、『強い』んだなと思いました。
長丁場になりがちな挑戦をするっとくぐり抜けていかれるのですよ。
私自身人生へのスタンスとしてとても参考になりました。
いろいろなお話をしてまいりました。
少しでも皆様にとってよい情報でありますように。
そしてこうのとりとの出会いがありますように、お祈りしております。