あれこれ思うエッセイ集:,

公文とアドラー心理学

私には二人の子供がいます。

子供たちが保育園時代から小学校、中学校時代まで、公文(学習塾)に行かせていました。

公文では決まった宿題を家でやらせて、先に先にと勉強を進めることが要求されます。小学校時代の子供たちにとってはあまり乗り気ではないようでした。家庭学習もさんざんなだめすかして声をかけないとやりませんし、公文に行く日になっても、怒鳴り散らさないと行きません。また子供が『公文に行きたくない』などというと私は『おかあさんは、やめてもいいと思うけど、勉強をやめるとバカになって、自分が困るんだよ』などと、脅かして続けていました。そして子供は納得しないながらも、勉強を続けていたのです。公文がある日は、私にとってとっても疲れる日でした。

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そんなある日、【実践カウンセリング】(注1)を読みました。

あれ? あれ? なにか面白いことが書いてある。その程度にしか始めは思いませんでした。が、ふと振り返ってみると、もしかして自分の行動は、感情を使って相手を支配しようとしているだけなのではないだろうか?。子供の課題に自分が乗り込んでいるのではないだろうか?。

どういう理由でこういう状況になったのかというふうに原因を探求することはちょっと横において、自分はどういう状況を作り出そうとして生きているのかという、行動の目的に着目して考えてみると面白いぞ・・・と。

今いる場所への積極的な所属と参加の感覚である、共同体感覚というのは、気の概念、すべてが一連なりの生命であるという実感、につながるものなのではないだろうか?

などと、アドラー心理学をいつも頭の隅っこにいれて生活するようになっていました。

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そうすると、いつの間にか、公文の問題も、私の問題から彼ら自身の問題へと切り替わるようになり、私が怒鳴ることはなくなりました。

あれあれ? アドラー心理学って面白いじゃないか

私にとって、心理学とは、人を分析的に見るための道具ではありません。
日々を生きる実践の中で、考え方、点検の仕方の指標といった感じでしょうか。

(注)野田 俊作さんの著書です。野田 俊作さんは、日本にアドラー心理学を最初に紹介され、アドラー心理学会を創設し、会長をされた方です。