あれこれ思うエッセイ集:,

刺絡について 2004/7/5

刺絡という鍼灸の一治療法について、私の考えをまとめました。
専門家向けです

井穴刺絡に関し、どぶ掃除というイメージで、末端から詰まったものを出すという 発想でおこなうという意見を耳にしました。

これについて、少し考えましたので、お話します。

刺絡は、経脉がとどこおっているものを通すかなり強い手段です。

井穴は肝木の気が流れるところですね。そこを刺絡するというのは、気を引いて降ろす、疎通されるという 意味合いが強い治療法だと思います。

末端から詰まったものを出すというどぶ掃除のイメージで使えるのは、 しもやけの場合が一番近いのかなと私は考えています。

しもやけの局所は寒凝気滞血瘀。強い外邪である寒気によって、気滞血瘀が生じています。
これを狙って刺絡してあげると、気持ちよいほど飛び出して(;^^)、一気に治ります。
どぶ掃除のイメージがぴったりですね。しこった滞りがなくなれば、正気が循って来ます。
素体の正気に損傷がないという前提の治療ですから、どぶ掃除のイメージがそのまま使えます。

しなしながら、たとえば、内因のきつい疾患の場合はどう考えたらいいのでしょうか?

私は、たとえ井穴刺絡をする局所(手足の末端など)に、あたかも熱を持ったような患部があったとしても、 全体の正気の状態を熟考した上で刺絡の適否を判断すべきだと思っています。

その理由としては

1、 刺絡は強い治療法であり、その乱用により正気が傷られる可能性が高い

2、 熱をもったような患部というのは、正邪の闘争が行われている場処

そこから、熱を抜くということは、一時的な症状の改善が図られることは容易に想像がつきます。

しかしながら、正邪の闘争をしているところの熱を安易に抜いてしまうということは、 取り残された邪気は、熱という陽気がなくなり、より動きがたい物になる可能性が 高いということ。

つまり、目先の症状がとれたけど、より動き難い、治りがたいものへとなってしまう可能性が 高いということ。

1により、正気の損傷がおこる可能性があり、それに2のような理由が加われば、より複雑な病態へ進む可能性が 大きいわけです。

以上により、私は、刺絡を含め、治療をするときには、その患者さんの全身状態をよく観察すべきで、 安易に、症状に対してだけ何かを行うことは、慎まなければいけないのではないか。特に、強い治療法を 選択する場合には、より注意が必要ではないかと考えています。

目先の症状を取る事だけに注目してあれこれ対処療法だけを考える危険性を思いました。