最近、身体を養うということは、腎気を養うことだなあと、ぶつぶつと思います。
そこで、思い至るのは、自分の中学校時代。私は軟式のテニス部に所属していました。
ここが、とにかく長時間の練習。朝練、夕方の練習、くわえて、土日もほとんど休まず、雨でも体育館で練習。夏休みだって、お盆の前後だけがほんの少し休み。
あのときは、これが当たり前で、身体を損ねているなんてみじんも思いませんでした。
しかし、私はこのときから、ながーーーーーーーーーーい腰痛人生を歩むことになってしまい、病院といえば整形外科、痛いといえば、腰。と、いっつもいっつも痛む腰をかかえて過ごすことになってしまったのです。
******************************************************
ただ、整形外科的に、ヘルニアがあったとか、なにかがあったという所見は出ません。でも、ただただ、痛い慢性腰痛。朝も起きたときから30分は非常にいたくて、洗面など一苦労。なにをするにもまず、腰ってのが頭にありました。だいたい、鍼灸師になってしまったのも、この腰痛があったからだし(;^^)。
こんな身体になってしまったのは、あの中学での部活動が、本当に腎気をそこねるものであったんだと、このところ思っているのです。人によって身体の器が違います。この非常にハードなやりかたで、身体がより鍛えられた人もいるのは確かだと思います。
しかしながら、私にとっては、ただ腎気をそこね、腰痛持ちにし、その後非常に苦しむ諸症状のきっかけになったことは明白だと思っています。あの中学校のときに、あそこまでやらなかったら、本当にもっと快適な10代、20代を過ごせただろうにと思うのです。
八味丸をのみつづけ、鍼をした結果、かなり腎気がたってきて、身体がいままでないぐらいに安定し、腰痛持ちだったことなど忘れてしまうほどです。
******************************************************
私は、体育の指導者ではないので、いまの指導者の方が、どんなやりかたをしているのか、また、いまだって、中学生に対して、具体的にどんなやりかたが、腎気を養う運動方法かは、私にはわかりません。ただ、あれは身体を養うことには、私にとってはならなかったんだ、腎気をそこなってしまったんだとは、今になって思うのです。
スポーツマンが、案外不健康であると言われるのも、このあたりにあるのかもしれません。腎気を養うことが身体を養うことであると言う観点から考えると運動のありかたもかなり違うのかもなんて思います。